His anxiety(中編)

初投稿なのに、いきなり前中後編になってしまいました(苦笑)
では、後編スタート!


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 あの日以降、昴治は安心して、再び仕事に忙殺されるようになっていた。しかし、以前よりは時間を作ってあおいと会ったりしているらしい。後は、七十五日が過ぎて噂が消えるのを待つだけ、の筈だった。

 ――ところが。

「何ぃ!? 整備課の相原が、あおいちゃんとぉぉぉ!? あの熊男ぉぉぉ! あの清純なあおいちゃんを、一体どんな外道な手段で誑かしたぁぁぁ!? ま、まさか、力尽くで……! かくなる上は、この俺があおいちゃんを外道大熊男から助け出して……!」

「あの人に限って、そんなことはないと思うんだけどなぁ」

「いーや! 聞けば、あいつはハイスクール時代に、女の子相手に暴行事件を起こして放校処分にされたって話じゃないか! 今まで猫を被っていたのが、本性を現したに違いない!」

「……僕は、軽トラックと相打ちになって、留年しちゃったからリーベ・デルタに来たって聞いたけど」

「待っててね、あおいちゃぁぁぁん!」

「聞いてないし……。やめとけ。お前じゃ返り討ちだぞ」

「あおいちゃんラブなパゥワァで最終形態になった俺に敵は無い! 必中吶喊! 絶対撃めぇぇぇつ!!」

 肝心の噂は、全く衰えを知らなかった。それどころか、具体名まで囁かれるようになり、聞きつけた某氏が毎度のごとく暴走し、整備課に殴り込みをかけたとか。

 ――本人、及び整備課の面々によって、殴り込んだ瞬間に叩き出されたそうだが。

 とにかく、噂の当人たちは全く気にすることもなく、しかし確実に、噂は囁かれ続けていた。




 奇妙な噂のただ中で、昴治は相変わらず山積みの仕事と二人三脚の状態だった。今では噂をまるきり無視している彼だが、この状態を見るに、噂を気にしている暇もない、ということかもしれない。

 今日も今日とて日付が変わる頃に仕事場を出て、自室へと向かう。今にもくっつきそうな両目をどうにか開き、おぼつかない足取りで歩く様は、危なっかしいことこの上ない。今の彼では、目の前に立たれても声をかけない限り気付かないかもしれない。いや、声をかけても気付くかどうか怪しいものだ。

 昴治の仕事場から自室へ戻る途中には、ちょっとした距離がある。寄り道すれば、医務室やグイーンレース会場、倉庫区画などもある。昼間は人通りがあるのだが、この時間ではそれもない。多少ふらふらしていても、道行く人に迷惑をかける心配はないだろう。

 散歩にはちょうどよい距離を、昴治はふらふらとした足取りで進む。精神の働きの方は、もう眠ってしまっているのかもしれない、そんな足取りだった。

「……あれ?」

 しかし、そんな昴治の視界に、意識を覚醒させるようなものが映った。目の前の通路、確かグイーンレース会場へ向かう通路に入って行こうとしているのは、紛れもなく……。

「あおい? なんで、こんな時間に……」

 黒いマントのような上着を着込み、帽子を目深に被っていたが、その帽子の下からちらりと見えた顔は間違いない。蓬仙あおいの横顔だった。白粉でもしているのか、奇妙に白い顔に、唇に惹かれた真っ黒なルージュが違和感を放っていたが、見間違えるほどではない。

 彼女が姿を消す間際、二人の視線が確かに重なった。しかし、彼女は驚く昴治をたいして気にとめた様子もなく、置物でも見たかのように視線を外すと、そのまま歩き去っていった。

 今や、眠気はどこかに消え失せていた。昴治はあおいの消えた通路へと走り出し、覗き込む。

 ――そこには薄暗い証明に照らされた通路が見えるばかり。黒尽くめの格好をしたあおいらしき人物は、どこにもいなかった。

 昴治の中で、気にしていなかったはずの噂が、大きな声で繰り返されるのを感じた。




 翌朝、昴治は睡眠不足の様子も明らかな様子で、あおいが朝食の支度をする姿を眺めていた。ちなみに、ここは昴治の自室であり、そこにあおいが手料理を持ち込むことは、珍しいことではない。

「なあ、あおい……」

「ん? 何?」

 朝からあおいはすこぶる機嫌がいいようだ。昴治と二人でいられるのを、心底喜んでいることがわかる。しかし、昴治はどうしても確かめなければならないことがあった。

「お前、昨日の夜、競機場の辺りにいなかったか?」

 ちなみに、『競機場』というのはグイーンレースの会場を指す。

「んー? 昨日は、仕事帰りにこずえとお茶して、それからは部屋にいたけど? ……どうしたの? いきなり、そんなこと聞いて」

「あ、いや。なんでもないんだ、なんでも……」

 あおいの返事に、不自然な部分はない。それでも、一度疑ってしまった昴治には、それも疑わしい態度に思える。”噂は本当なんじゃないか?”という声と、それを否定する声が、昴治の中で繰り返される。

「――さ、出来た! 今日も忙しいんでしょ? 早く食べて、仕事に行かなくちゃ! あ、そうそう。今日はお弁当作ってきたから、お昼に食べてね?」

「ああ……」

 彼の葛藤など知らないあおいの声に促され、昴治は、機械的に手を動かした。味は、ほとんど感じられなかった。




 その日の仕事は、さんざんなものだった。上の空の状態では、何をするにしても適切な判断が出来るわけがない。一日中仕事をしていても、片付くどころかかえって仕事が増える有様だった。とりあえず一段落付けたときには、また日付が変わる時間になっていた。

 心身両方に重い疲れを感じつつ、昴治は部屋へと向かう。

 気が付けば、昨夜あおいらしき人影を見た場所にまでたどり着いていた。今までろくに周囲が見えていなかった昴治だったが、昨夜のことを思い出し、あの時の通路に目を向ける。

 と、今もまた、黒尽くめの人影がそこに消えていくのが見えた。黒い帽子の下から、ちらりと真っ白な顔と黒いルージュの線が見えた。

「お、おい! あおい――!」

 反射的に、昴治は走り出しながら人影を呼び止めた。顔を確認したわけではなかったが、そうせずにはいられなかった。

 しかし、他に該当するような人影がないにも関わらず、帽子に黒マントの人影は全く足を緩めることはなかった。昴治が通路に走り込んだときには、その背中が薄暗がりの中に消えていこうとしていた。

「あおい! あおい!」

 必死になって、昴治は走った。だがどういう訳か、相手は走っているように見えないのに、距離が一向に縮まらない。

「(何でだよ!? 何で答えてくれないんだ!)」

 人違いなら、一言そうと否定してくれれば安心できる。しかし相手は肯定も否定もせずに、逃げるように遠ざかっていく。

「(この先は、レース場しかないはず、通路だって、普段はふさがれているはずだ!)」

 無言の相手に混乱しながらも、昴治は追いついて正体を確かめることだけを考えて、ますます足を早めた。証明が抑えられた薄暗い通路に、昴治の足音がこだまする。しかし、前を行く人影の足音はほとんど聞こえない。暗がりの中に、ちらりちらりと真っ黒なマントがはためく様が見える。

 ――もしかして、俺は幻覚でも見てるんじゃないか――?

 そんなことを考えてしまうほど、徐々に現実感が薄くなっていく。しかし、足は止まらない。

「はーッ、はーッ……」

 唐突に、空間が開ける。レース場に付いたのだ。運動不足の上に、疲労が溜まった体で短時間とはいえ全力疾走したので、膝ががくがくと笑い出している。ふらつく視線を強引に上げて、睨むようにレース場を見渡す。ライトアップされていないその空間は、いくら目を凝らしても端まで見通すことが出来ず、非現実感をいや増している。

 と、そこに、場違いな口笛の音が聞こえてきた。明るく、アップテンポの曲であり、加えて吹き手の技量のために、その原曲の雰囲気が十分に伝わってくるのだが、やはり口笛のためか、それはどこか寂しげに感じられた。

 音楽に対して余り知識のない昴治には、その曲のタイトルはわからなかった。しかし、多少クラシックの知識がある人間ならば、そのタイトルに気付いただろう。ただでさえ過剰な演出で知られる音楽家の、最もやかましいその曲、”ニュルンベルグのマイスタージンガー”に。

 口笛が途絶え、僅かの間、レース上に沈黙が降りた。

「――やれやれ。付いてきてしまったんだね」

「――! あおい!」

 声は、昴治の後方から聞こえてきた。反射的に振り返る。昴治が入ってきたのは、レース場に直接出ている扉だった。そして、声の主は、昴治より上、階段状の観客席の一角に、影のような姿を現していた。真っ黒なその影の中で、目深に被った帽子の下の白い顔と、その中でひときわ目立つ黒いルージュが対照的だった。

 そして、正面から見たその顔は、間違いなく、蓬仙あおいのものだった。

「まず、最初に言っておくが――」

 問い質そうとして、昴治は出鼻をくじかれた。意図した様子もなく昴治の口を封じながら、あおいの顔をした彼女は続けた。

「僕は、蓬仙あおいではない」

「何言ってんだよ!? 訳わかんないぞ、あおい!」

「――僕は、ブギーポップだ。はじめまして、相葉昴治君」

 逆上した昴治を見下ろしながら、ブギーポップと名乗ったあおいは唇の右側を吊り上げた。その表情は、半分だけが笑っているような、あおいでは絶対にしない、左右非対称の笑顔だった。

(後編に続く)


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すぴんねっと > だって整備課、ますます強そうですもんね(笑) そーか、相原君とは一応知り合いなのですね・・・(めもめも) それにしても競機場! ああ、こういう造語ができるセンスが欲しい(^^;) (2000/10/09(Mon) 13:33:43)
高原ユウ > 口笛を吹いてみたりして(爆) (2000/10/09(Mon) 16:35:13)
ほろほろ > 「唐突に、空間が開ける。」の段落の空気感がいいですね。 (2000/10/10(Tue) 00:35:33)
たのじ > >すぴんねっとさん:相原君は、厨房によく出没するので、あおいとも顔を合わせる機会があるのです。ですから、それを見ていたスピン君が敵性体(笑)として覚えたものと思われます(笑) >高原さん:ちなみに、私は口笛が吹けないので、一人でこっそり気分に浸ることが出来ません(苦笑) >ほろほろさん:そんな表現をされたのは初めてです。お褒めいただき、恐悦至極(笑) (2000/10/10(Tue) 06:38:23)

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