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相原祐一郎の憂鬱

 二月。

 航宙可潜艦にしてヴァイア艦、黒のリヴァイアス艦内で、相原祐一郎は重い足取りを引きずるように、とある場所へと向かっていた。

 身長二メートルに届く大柄な彼が、肩を落として歩く様は、はっきりいって鬱陶しい。いつもは朗らかな表情にも、雲でもかかったように精彩がないため、その鬱陶しさも倍である。

 彼が何故このようになったのか? それを語るには、とある習慣に触れねばならない。

 ……かつて、地球上の大陸の東端に存在する弧状列島で始まったとある習慣。ある業界の営業戦略のために広められたそれは、識者の予想に反して時代とともに廃れるどころか、人類の宇宙進出とともに、新たな人類の生活圏へとへと広がっていった。

 聖バレンタインの日――。悲劇の恋人たちの守護者として知られた、ある世界宗教の聖者を記念した日。

 それを本来祝っていた宗教圏では、恋人たち(に限らない)が、互いの好意と感謝を伝えるために、カードや花束を贈りあう日である。

 ところが、件の弧状列島では、製菓業界がそれを利用し、女性が男性へチョコレートを贈って好意を伝える日、とされてしまったのである。

 この作られた慣行は、大いなる罪を作り出した。つまり、チョコレートを贈られるか否かで、いわゆる「もてる」男性と「もてない」男性をはっきりと、絶望的なまでに区別してしまったのである。

 二十世紀後半以降の二月十四日のその日には、悲喜こもごも、さまざまな光景が弧状列島の各所で展開され、ありとあらゆる娯楽作品に多数の題材を提供するまでに至った。

 そして、振り返って二十三世紀のリヴァイアス艦内でも――。今まさに二月十三日、運命の日の前日なのである。

「……リヴァイアスの中では、この匂いから無縁でいられると思ったのに――」

 ここ数日嗅ぎまくっているために、甘い匂いにそろそろ嗅覚が麻痺し始めている祐一郎は、大げさなため息とともに肩を落とした。もとから落ちていたというのに、これ以上落とせるとはなかなか器用な肩である。

 ここ数日、艦内の女性乗組員たちは休暇を取る者が多発している。既製品よりは手作りのほうが心が伝わる、という一般的な感覚にしたがって、彼女たちは今ごろチョコレート作りに励んでいるのだろう。

「もういやだ……。何で、毎年こんなイベントがあるんだ……? チョコレートでなくたって、気持ちは伝えられるだろう……? 頼むから、この甘い匂いを止めてくれ……。これなら、こぼした牛乳を拭いた雑巾のほうがましだ、窒息する……」

 大男が虚ろな瞳でぶつぶつと呟く様は、近づきたくないものランキングを取ったらさぞや上位に輝くことだろう。体のほうは機械的に前に進んでいるので、不気味さにはいっそう磨きがかかっている。

 ……それでも、彼は行かねばならない。どんな理由があろうとも、一度交わした約束を破るという選択肢は、彼には無い。

 そんな彼の前に、近づく人影がひとつ。『出来ることなら呼吸もしたくない」と言いかねないリヴァイアスのぐーたら医師、またの名を天下御免の「たれあまの」、天野翔である。

 自室と勤務場所である医務室、そして食堂を結ぶ線以外の通路には足を踏み入れることすらまれな彼がこんな場所にいるのはそれだけで珍しいのだが、とにかく彼は祐一郎に出会った。

「……おい? 何やってんだ、祐一郎?」

 いつもなら相手からやってくる挨拶が無いことを不審に思ったのか、翔は怪訝な口調で祐一郎の顔を覗き込んだ。

「……不景気な顔だな。落ち込んだスピンネットでもおまえよりましだぞ」

「やあ、翔か……。なに、いやな季節が来たな、と思ってねぇ……」

「……? ……ああ」

 祐一郎の返答に、少し考え込む表情を見せた翔だったが、すぐに何か思い当たった表情を見せた。

 が、次の瞬間、今度は一転して不思議そうな視線を向ける。

「バレンタイン、だろ? だけど、何であんたが落ち込むんだ? ……とてもそうは思えないんだが」

「ははは……」

 チョコレートをもらえるかどうかで、リヴァイアスの男性乗組員はここ数日、明らかに殺気立っている。だがそれは、もらえない見込みの高い者たちばかりで、彼女持ち、あるいは女性に人気のある乗組員は、早く来いとばかりにその日を待ち望んでいる。

 恋人たちのイベントは、女性ばかりではなく、男性にも楽しみなのものだ。当然だろう。

 かくいう翔も、という出来すぎなほどの彼女持ちである。本人はべたべたするのが嫌いなのか、あまりそういった様子は見せないが、綾の彼に対する態度はあからさまだ。きっと今も、得意の料理の腕を存分に発揮して手作りチョコレートの製作に励んでいるのだろう。

 そして、祐一郎はと言えば――。

「あんた、チョコをもらう当てなら結構あるんじゃないか?」

 そうなのだ。特定の彼女、と言える存在こそいないが、女性の知り合いなら祐一郎は多い。男性の知り合いも多いのだが、女性となると更に多い。

 別に、彼が女性と見れば口説くような男だという訳ではない。彼の趣味には、外見からは想像もつかないが、料理というものがある。その趣味で、リヴァイアスの厨房にはよく出没しており、女性の多い厨房では当然女性と親しくなる確率も高く、必然的にそういうことになる。

 男女の仲というよりも、性別を越えて親しい友人になってしまうことのほうが多いのだが、とにかく、彼の周りには女性がそれなりに多いのだ。

「義理チョコなら山ほどくるだろうし、本命だってあるだろ? 最近、ほら、ブリッジの……誰だっけ? ちっこいのたちと仲がよかったじゃないか?」

「……そうじゃない。もらえるかどうかなんて、そんな問題じゃない」

「は?」

「天野翔くん。君は、むせ返るほどの甘い匂いというものを体験をしたことがあるかい?」

「おい?」

「頼ってくれるのはいいんだ、料理を手伝うのは嫌いじゃない、教えるのも嫌じゃない。……だけど! あれだけは! あの強制労働の記憶を思い出すアレだけは……!」

 どこか遠くを見つめて絶叫する祐一郎。あからさまに不審物を見る目を向ける翔をお構い無しに、祐一郎の記憶は過去へと、火星での日々へと飛んでいた――。

『おい! 全自動チョコレート製作機! 明日までに三十個、きっちり作っとけよ! 編集部の連中にばら撒かなきゃならないし、担当の先生にもやっとかないと、機嫌悪くなって締め切り破るんだからな、あの人は! おら、手を抜くな!』

『ちい姉、それならあんたも手伝ってくれよぉ……』

『あたしゃ、文章は得意だけど料理は苦手なんだ』

 下の姉(雑誌編集者・当時未婚)には、奴隷のように働かされ。

『一郎さんー? 湯煎って、このくらいの温度でよかったー?』

『ゆら姉ー! あんたはガス台に近づくなって言っただろー!!』

『だってぇ、わたしだって手作りしたい……。きゃー!』

『あああやっぱりひっくり返したぁ! 俺がやるからおとなしく洗い物だけしててくれ!!』

『くすん……。一郎さんがいじめる……』

 不器用な上の姉(カウンセラー・やはり当時未婚)には、余計な仕事(家事一般は彼の仕事だった)を増やされ。

『相原くーん! ねー、今年も……』

『……いいよ。手伝えばいいんでしょ? ……で、今年は何人?』

『みんなー! いいってー!』

『『『『よろしくねー!』』』』

『ま、また増えてる……』

 ジュニアハイのころから、女生徒たちにはこのときとばかりに頼られた。

「……この季節、『チョコレートの作り方教えて?』と女の子たちに囲まれ、ただ黙々とそればっかりやるだけなんて、いくら料理が好きでもいいかげん飽きてくるんだぁ!!」
「また、面白い理由で悩んでるんだな、あんたも」

「面白くない!」

 ひとしきり叫んで落ち着いたのか、幾分ましになった表情でぴしゃりと言い放つ。

 とにかく、理由は大多数とは別ながらも、彼もバレンタインデーの犠牲者、ということなのだろう。

 その『大多数』からは、敵性体と認識されるに十分な理由であることは間違いないだろうが。

 最後には同情するような視線を祐一郎に向けていた翔だったが、ふと後ろを振り返ると、意地の悪い薄笑いを浮かべた。彼からも少し高い位置にある祐一郎の肩をぽんとたたいて、その視線を自分の背後に向けさせる。

「落ち込んでるところをすまないが……。お迎えみたいだぞ?」

 小走りにかけてくる女性に、翔は見覚えがあった。名前は少しあやふやだったが、綾と同じフライト・アテンダント科の乗組員だ。美人ではないが可愛らしい女性で、はきはきした態度が印象に残っている。

 彼女の視線は、まっすぐ祐一郎に向けられている。

「……相原さーん! 遅いから、迎えに来ましたよー!」

「あ、ははは……」

「じゃあ、行きましょう! みんな待ってますから!」

 翔への挨拶もそこそこに、彼女は祐一郎の手を取ってぐいぐいと引っ張っていく。祐一郎は、なされるがままだ。気が進まなくても、手荒な真似はやはり出来ないらしい。

「……がんばれよー……」

 もはや聞こえるとも思わなかったが、遠ざかっていく背中に声援を送る。

「まあ、いろいろあるってことだな、うん」

 はてさて、誰からも何も貰えずに泣く連中と、あいつとどっちが不幸なんだろう――? などと考えながら、翔はその場を後にした。明日は、さぞや賑やかだろう。暴走したりなんだりで、医務室も間違いなく盛況に違いない。

「……今から、少し寝だめしとくか……」

 当確1があるから安心なのか、それとも普段からの態度のように、イベントなど別に関係ないと本気で思っているのか、いつものままの翔は、のんびりとした足取りでどこかへ去っていった。

 艦内の甘い匂いは、Xデーのカウントダウンとともに強くなっていくような、そんな気がした。

 明日はいよいよ本番――。

 リヴァイアスの大騒ぎに、また一ページが加わるまで、後わずかであった。




おしまい。


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たのじ > 思いつきで久しぶりの投稿です(笑) (2001/02/13(Tue) 23:25:36)
たのじ > 皆さんに比べると、ちょっとパワー不足かなぁ……? (2001/02/13(Tue) 23:25:58)
ほろほろ > 文字までチョコレ−ト色ですね(笑 (2001/02/14(Wed) 00:00:48)
ぐちゃ > やっぱり弟って姉の奴隷なんだ(笑) (2001/02/14(Wed) 00:55:32)
鳥乃 > むせ返るような甘い臭い…?胸焼けがしそうですね…(汗) (2001/02/14(Wed) 01:04:55)
すぴんねっと > ・・・よくよく考えてみれば、作る側とゆー私のSSって実は異常なんではなかろーか(笑) (2001/02/14(Wed) 02:03:04)
ほろほろ > 生まれたときからだからナチュラルに疑問も持たず奴隷ですよ^^;<おと−と>ぐちゃさん (2001/02/14(Wed) 02:12:09)
ワイルドキャット > まあまあ多分美耶子さんも手伝うだろうから今までよりは楽かもよ? (2001/02/14(Wed) 15:35:10)
高原ユウ > うんうん、綾も手伝ってくれますし(笑) (2001/02/14(Wed) 22:05:18)
ゆうきゃん > 厨房がチョコ作り軍団に占領されちゃって、夜食とか食べられないんだろーな。 ほろさん>すごく実感こもってますね(笑) (2001/02/14(Wed) 23:35:46)
ま〜き〜 > 作る方も男は大変ですねぇ(笑 (2001/02/15(Thu) 18:32:53)
たのじ > 「ありがとー! みゃーこちゃん!」……とか言ったらボンバーなんでしょうか?(笑)>ワイルドキャットさん (2001/02/16(Fri) 22:18:22)
ワイルドキャット > 笑顔で耳引っ張るぐらいだと思いますが(笑)>たのじさん (2001/02/17(Sat) 01:48:43)
ワイルドキャット > 美耶子「だ〜れがみゃーこなのかな〜?」 祐一郎「いててて!!」 (2001/02/17(Sat) 03:32:11)
たのじ > 祐一郎「ごめんごめんみゃこちゃ……、みやこちゃん!」 (2001/02/18(Sun) 09:38:55)

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